日语古典语法推量助动词
发布时间:2018-07-01 14:30:44
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推量助动词
一 定义
意指推测不确切的事实,以及对于过去、现在、未来的时间进行推量的助动词。
二 分类
古日语中的推量助动词有“む(ん)、むず(んず)、らむ(らん)、けむ(けん)、べし(べらなり)、まし、めり、らし(けらし)”。
根据年代及用法,推量助动词可列为下表。
由上表可以看出,推量助动词在平安时代最为充实。及至鎌仓、室町时代,其中大多已失去效力而不再使用。现代日语中的推量助动词仅存“う、よう、まい、らしい、ようだ”,且“う、よう”的单独用法也渐渐减少,多与断定助动词“だ”连用——以“だろう(でしょう)”的形式出现。
按其接续,古代日语的推量助动词可列为下表(与口语对照)
む
:四段活用
:活用词的未然形
※通常发音为“ン”,因其发音也常将“む”写成“ん”。
:
1推量:对尚未实现或不确定的事件进行猜想、预想和推量。相当于“~だろう”,“~よ、~よう”。多用于主语为第三人称的句子。
▲少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。 『枕草子』
少納言よ、香炉峰の雪はどのようでしょう/少纳言啊,香炉峰之雪何如?
▲今春又過ぐ 何れの日にか是れ帰年ならん 『絶句』
今年の春も、みるみるうちに過ぎ去ってしまおうとしている、いつになったら故郷に帰る年となるのだろう/今春看又过,何日是归年
▲あかず惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心ちこそせめ。 『徒然草』
(だが)もし不満足で惜しいと思うなら、たとえ千年を過すとしても、ただ一夜の夢のような感じこそするでしょう/然,觉不足而惜之,倘怀有此心,则千年虽过犹如一夜之梦尔。
2意志,希望:表示动作主体的意志和希望。相当于“~う~よう、~たい”。多用于主语为第一人称的句子。
▲かならんとすれども、風まず。 『孔子家語』
樹が静かであろうとしても風が止まない/树欲静而风不止
▲天に在りては願わくは比翼の鳥になり、地に在りては願わくは連理の枝と為らんと。 『長恨歌』
天上では一つ翼の比翼の鳥、地上にあっては一つの枝の連理の枝となり、いつまでも二人は一緒にいようと/在天愿作比翼鸟,在地愿为连理枝。
▲千里の目をめんと欲して、更にる一層の楼 『』
この絶景に千里のかなたまでも眺めつくしたい気持ちになり、この楼のもう一層まで登ったのである/欲穷千里目,更上一层楼。
委婉,假定。
表示委婉时,是指对于一般性的事实以及可能实现的事实,以推量的形式进行委婉地叙述。一般接无意志动词。表假定则为,假设性地叙述尚未实现的事情。大多使用连体形。其后通常接体言、に、には等。相当于“~のような、~としたらば、~なら(ば)”。
▲にして鳥白く、山青くして花えんと欲す 『絶句』
錦江の水は深いみどり色に澄み、そこに遊ぶすい水鳥は益々白く見える。山の木は緑に映え、花は燃えるような紅に咲き乱れている/江碧鸟逾白,山青花欲然。
▲銭あれども用ひざらむは、全く貧者と同じ。 『徒然草』
お金があっても用いないとしたら、それは全く貧者と同じである/倘有钱而不使,则与贫者无异。
▲長くとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
『徒然草』
長くとも、四十歳に満たないうちに死ぬようなのが、実に無難であろう/(人之寿命)虽长,然于四十载上下而死,实为正好罢。
4适当,劝诱,比较郑重礼貌的命令
表示动作主体认为此种做法合适,或说话人劝对方做某事,或礼貌的命令。多以“なむ(や)”“てむ(や)”“こそ…め”的形式出现。相当于“~するがよい、~なさい”。
▲など、かくは急ぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ。
『宇津保物語』
どうしてそうお急ぎになるのですか。花を見てからお帰りなさるのがよい/作何如此焦急,待赏花之后再回岂不更好。
▲鳴り高し。鳴りやまむ。 『源氏物語』
騒がしい。静かにしなさい/噪,肃静!
▲第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ。 『枕草子』
この世で一番すぐれている人に、自分が第一だと思われようと思うがよい/最好是世间第一人承认你为第一。
5可能推量:对某件事情的可能性进行推测,相当于“~できるだろう”,后面多跟有反语表现。
▲の天工、いづれの人か筆をふるひ、ことばを尽くさん。
『奥の細道』
創造の神の自然のたくみは、どういう人が筆をふるい、言葉をつく(して書き表)すことができようか/天地造化之功,孰可尽绘,孰可尽言哉。
▲恵施曰く:子、魚に非ず、安んぞ魚の楽しみを知らんやと
『荘子·秋水』
恵施は魚でない君にどうして魚の楽しみが分かることができるだろうかと言った/惠施说:子非鱼,焉知鱼之乐。
▲いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや 『論語』
生きている意義さえつかめないのに、死がどういうことかわかるはずがない/未知生,焉知死。
む的音变:
平安时代以后,“む”渐渐写成“ん”,鎌倉时代以后还出现了“う”的变化形式,遂产生了现代日语助动词“う”“よう”。即:む→ん→う/よう
活用形小考:
未然形的“ま”多用于奈良时代,仅以“まく”的形式出现,意为:だろうこと。(此时“く”为构成名词格的接尾词,后接动词活用的未然形,与“いはく”“ねがはくは”等的“く”用法相似,意为:こと。)
▲梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林にうぐひす鳴くも『万葉集』
美しいこの梅の花が散る(であろう)ことを惜しがって、私の家の庭の竹の林にうぐいすが鳴いていることであるよ/梅花落纷纷,瓣瓣发人怜。家院竹林里,黄莺脆脆鸣。
已然形的“め”,多伴有“やも、や”即──“めやも、めや”(や为反语的助词)。另,有时尚可伴“かも”即──“めかも”。 通常表示反语“ことがあろうか、いやなかろう”的意思。如:
▲紅の染めの色深く思ひし心われ忘れめや 『古今和歌集』
くれないの初花染めの色が深いという、そのように、私もふかくあなたを思いそめた心はどうして忘れましょうか/红花初染色渐沉,拨动心弦把君思。吾心好似此花色,情意深深怎可除。
むず(んず)
:サ变活用。
:活用词的未然形。
※通常发音为“ンズ”、“ウズ”,其发音多写作“んず、うず、ず”。
:
1推量:推测未来,或现在一般性的推量。相当于“~だろう、~であろ、う~う(よう)”。
▲この月の十五日に、かのもとの国より迎へに人々まうで来むず。
『竹取物語』
この月の十五日にあのもとの国、月の都から迎えに人々がやって来るでしょう/今月十五日,余之故国——月宫将来人接吾返月。
▲われは命短き族なり。必ず死なむず。 『大鏡』
私は短命の血筋だ。きっと早死にしてしまうだろう/吾族血缘历来命短。吾亦定将早死罢。
▲両門合戦して、天台の佛法亡びなんず。 『平家物語』
山門と寺門とが戦って、結局、天台の仏法は滅びてしまうだろう/山门(比叡山)与寺门(三井寺)相战,其结局,盖为天台佛法就此湮灭乎。
意志、决意:表示自己的意志和希望。相当于“~う、~よう、~するつもりだ、~たい”。
▲たとひ千騎もあれ万騎もあれ、一方は射払はんずるなり。
『保元物語』
たとい、敵が千騎でもあれ、万騎でもあれ、一方は射払ってしまおうとするつもりだ/纵敌军千乘万骑,吾等亦将极力射杀直至其退。
▲のこの身を捨て棄うてての身にこそならむずれ
『梁塵秘抄』
煩悩の深いこの身を投げ捨てて自由な境涯になるつもりだ/(吾)欲弃此皮囊,了却烦恼深长,以求清净自在。
劝诱、适当以及礼貌的命令。相当于“~がよい、~すべきだ、~なさい”。
▲この御は、らでやあらむずる。 『落窪物語』
この格子は、お上げしないでよいだろうか/此格窗,还是不拉上为好罢。
4假想、委婉。相当于“~したら(その)”、“~のような”。
▲さる所へまからむずるも、いみじくも侍らず。 『竹取物語』
そのような所(=月世界)へ行くようなことも、(私、かぐや姫には)うれしいことではございません/吾将去往那样之地(月宫),此事,(于吾竹取姬而言)亦非什欢喜之事。
▲かかれば、高名せんずる人は、その相ありとも、おぼろけの相人の見る事にてもあらざりけり。 『宇治拾遺物語』
だから、将来名をあげるほどの人は、その相があったとしても、並一通りの相を見る人が見ることができることでもなかったのだ/因此,将来会扬名之人,即使有其相在外,普通看相之人也是看不出来的。
▲いますかりつる志ともを思ひも知らで罷りなむずることの口惜しうはべりけり。 『竹取物語』
今まで私にお示しになった御厚意を考えもしないで、行ってしまうくらいなことが、残念に思われるのでございます/(余)未虑陛下迄今所示之厚意即去,实深感为憾。
词源:由推量助动词“む”+格助词“と”+サ变动词“す”,其中的“と”脱落变化而来。意为:しようとする。即:む+と+す→むとす→むず
“むず”出现于平安时代,当时仍为俗语,因其语感较为强硬,在平安女性文学中鲜为少见。直至鎌倉时代才开始盛行使用,常见于军记、历史文学作品中,且用于对话文以及叙述文中。还用于“むずらむ”的组合。如:
▲この児、定ておどろかさむずらんと、待ちゐたるに……
『宇津保物語』
このちごが「きっとおこしてくれるだろう。」と待っていると……/此小儿思量:“届时定来唤吾过去”,并等着(有人来叫)……
▲「このことさもあらんずらん。行きて見ん」と思ひて、頭つつみて行く。 『宇治拾遺物語』
「ひょっとするとそうなるかもしれない。行って見よう。」と思って、頭に衣をかぶって行った/“兴许会应验也指不定。且前去看来。”如此这般思量着,即以衣披头而去。
“むず”与“む”在意义上的区别
在意义上,“むず”被认为是“む”的强调表现,在一定程度上,强调的语气要比“む”强烈,但所表达的意思要比“む”窄。
らむ(らん)
:四段活用。
:ラ变以外活用词的终止形、ラ变型活用词(ラ变动词、形容词、形容动词)的连体形。以下的“べし”“まじ”“らし”等词皆如此。
:“らむ”在奈良时代,如前为上一段活用词时,接其未然形,如“見らむ”。
:
对现在事实的推量。主要用于视觉看不到的事实。相当于“今は…しているだろう。~(して)あるだろう。”
▲味方に東国の勢、何万騎かあるらめども、軍の陣へ笛持つ人はよもあらじ。 『平家物語』
味方に東国の軍勢が何万騎かいるだろうけど、戦いの陣に笛を持参する人はぜったいにいないだろう/在我方而言,东国大军虽号称数万,然临阵号令之才军中却无一人可担此重任。
▲仏は如何なるものにか候ふらん。 『徒然草』
仏はどのようなものでしょうか/佛,何许人物也。
▲らは今はまからむ子泣くらむそれその母もわを待つらむぞ
『万葉集』
憶良はもうおいとまいたしましょう。(家では今頃)子供が泣いていることでしょう。その母親も私を待っているでしょうよ/忆良将欲行,小儿家中泣。其母待吾归,余自且请辞。
对现在事实的原因理由进行推量。相当于“~どうして…(ている)のだろう、~ているだろう”。
▲時知らぬ山は富士の嶺いつとてか
鹿の子まだらに雪のふるらむ
『伊勢物語』
時候は分からないが(山は)富士
の頂上にはいつのまにか鹿の子の
まだらになったのは雪が降ってい
るのだろう/高山不识季节令,(五月已末仍铺雪)。盖因雪落富士岭,不觉班驳如鹿身。
▲ひさかたの光のどけき春の日にし づ心なく花の散るらむ。『古今和歌集』
日の光ものどかなという春の日なのに、このように落ち着いた心もなく(桜)の花が散っているのは 『伊勢物語』
なぜなのであろう/春暖和风轻,日闲心未平。正是花好时,缘何却飘零。
▲冬ながら空よりはなの散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ『古今和歌集』
今は冬でありながら、空から花が散ってくるのは、雲の向こうの方は既に春のなのであろうか/今时仍冬日,当空却飞花。可是云深处,早已把春发。
现在的传闻:表示关于现在事件的传闻。相当于“~とかいう”
▲にしき名付きたる鳥の、りてこれにのみるらむ、いみじう心ことなり。 『枕草子』
中国で、大げさな名のついた鳥が、特に選んでこの(桐の)木にばかりとまるというのは、格別に心をゆすぶられる。(注:この鳥は鳳凰である)/传曰:中国有鸟曰凤凰,极负盛名,择木(桐木)而栖。闻之甚觉别致。
▲かく歩きて、蓬莱といふらむ山にあふや。 『竹取物語』
こうして漕ぎまわって蓬莱の山とかいう山に逢うか/照此划法(飘摇于海上),可达传闻之蓬莱山乎。
▲古へに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしやなきし あがこふるごと 『万葉集』
昔を恋い慕っているという鳥はほととぎすだ。恐らく私が昔を恋い慕っているような気持ちで鳴いたのだろう/有鸟恋旧昔,杜鹃为其名。恐为似吾心,慕昔而长鸣。
4委婉:避免使用断定(强硬)的语气,委婉地叙述现在的事实。相当于“~ているような、~ような、~ようだ”。
▲春日野の若菜摘みにやしろたへの袖ふりはへて人のゆくらん
『古今和歌集』
春日野の若菜を摘みに行くのか、の袖を振って、人々が出かけていくようだ/春日野青青,欲将采摘去。白袖呼朋来,恐失好时节(或者另译:人挥春衫袖,出门且徐行。似往春日野,萋萋好采青。)
▲鸚鵡、いとあはれなり。人のいふらむことをまねぶらむよ。
『枕草子』
鸚鵡よ、非常にあわれだ。人のいうということをまねぶというのよ/鹦鹉者,极其有趣也,能言人之所言。
▲あが仏、何事思ひたまふぞ。おぼすらんこと。何事ぞ。『竹取物語』
かぐや姫よ、どんなことを思いなのか。お思いになっているようなことはどんなことか/竹取姬哟,您在想什么呢。何事可令您所深思呢。
:当表示推测原因时,通常前面有“など”“いかに”等疑问副词或“や”“か”等疑问助词。
“らむ”在平安时代以后写做“らん”,鎌倉末期以来,还出现了“らう”“ら”的形态。
“らむ”的已然形除了与“こそ”相互呼应使用,还与助词“ど、ども”相连用。有时还与助词“や”一起构成反语(但无与“ば”连用的用法)。例:
▲思ひ出でて恋しき時は初雁の鳴きて渡ると人知るらめや。
『古今和歌集』
あの人のことが思い出されて恋しいときは、初雁が今鳴きながら空を渡ってゆくように、この門先を泣いて通ると、この門の中のあの人は知っているであろうかしら/初雁渡空啼,吾心思伊人。泣而过汝门,中人知不知。
“つらむ”“ぬらむ”
古语中有“つらむ”“ぬらむ”的表现,此时的“つ、ぬ”常表示“完了”,而不表示“强意”。意为“今はすでに、~てしまっただろう”等。如:
▲人はしづまりぬらん。 『徒然草』
人は寝静まっただろう/盖人们已沉睡也。
▲のや山ののよりわが振る袖を妹見つらむか
『万葉集』
石見の高角山の木々の間から私が振る袖を妻が見ただろうか/ 石见高角山,丛丛树林间。余自挥衣袖,吾妻可见乎。
▲思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらまし
『古今和歌集』
あの人のことを思いながら寝たから夢に見えたのだろうか。夢であることを知っていたら覚ましはしなかっただろうに/怀系斯人沉睡,魂魄竟来入梦。若知此为梦中,唯愿长睡不醒。
けむ(けん)
:四段活用。
:活用词的连用形。
:
1表示对过去事实的推量。相当于“~だだろう、~であったろう”。
▲の人は、これをいみじと思へばこそ、しとどめて世にも伝へけめ、これらの人は語りも伝ふべからず。 『徒然草』
中国の人はこれをえらいと思うからこそ、書きとどめて世にも伝えたのであろう、日本の人は(もしそんな人があったとしても、そのすばらしさがわからないから)語り伝えるはずがない/盖因中国人思其行状颇为了得,方书之以告后人罢。然,日本人却(因不明其了得之所在,即使有此种人,亦)不会语之与人。
▲し愚かなりとしろしめしけむ 『古今集』
(彼らの)賢愚を識別なさったのでありましょう/(天子)大概是想试试(他们)贤愚。
今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花穂に出だすべきことにもあらずなりにたり。
その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。古の世世の帝、春の花の、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、事につけつつ歌を奉らしめ給ふ。あるは花をそふとてたよりなき所にまどひ、あるは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心々を見たまひて
▲「空よりや降りけむ、さよりやわきけむ」と言ひて笑ふ。
『徒然草』
父は「仏は空から降ってきたのだろうか。それともさから涌いてきたのだろうか。」と言って笑う/父亲笑曰:“盖佛乃自空而降,由地而生者矣。”
对过去事件的原因、理由进行推测。相当于“どうして~たからだろう、~たのであろう”。
▲この世にいかでかかかることありけむとめでたくおぼゆることは文こそ侍れな。 『無名草子』
この世にどうしてこういうことがあったのだろうと、すばらしく思われることは、実に手紙であるのですね/人欣然世间怎会有此般之事,实则为信使然。
▲雨降れど露も漏らじを笠取の山はいかでか紅葉そめけむ
『古今和歌集』
笠取山は、そういう名を持つなら、雨が降っても露も全く漏らないだろうに、どうして紅葉が染まり始めたのだろうか/有山名笠取,降雨应不漏。既已得其名,何故叶染红。
传闻:叙述关于过去的事件的传闻。相当于“~たとかいう”。
▲牡鹿鳴くこの山里と詠じけん、嵯峨のあたりの秋のころ。
『平家物語』
牡鹿が鳴くこの山里と詠んだという時は嵯峨のあたりの秋のころである/“鹿鸣啾啾兮,遍山野”,发此慨叹之时,正值嵯峨山秋意漫漫。
▲あわれ昨日翁丸をいみじううちしかな。死にけむこそ悲しけれ。 『枕草子』
ああ、きのう翁まるをひどくたたいたのだわねえ。多分死んだそうだがこそかわいそうだこと/呜呼,昨,狠揍翁丸。或闻已死,甚怜。
委婉:委婉地叙述过去的事实,避免使用断定(强硬)的语气。相当于“~たとかいうような、~たようだ”。
▲猿沢の池は、の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけんこそ、いみじうめでたけれ。 『枕草子』
猿沢の池は、昔采女が身投げしたのをお聞きになって、行幸などがあったそうだが、それはまあ実にたいしたものだ/听闻猿泽池乃当年侍奉天皇饮食之女官投身之所,竟曾有天皇行幸至此,实为了不得的事。
▲一事のすぐるるだにあるに、ましてかくいづれの道にもぬけ出で給ひけむは、いにしへもはべらぬことなり。 『大鏡』
一事が優れていることさえも(むずかしく)あるのに、そればかりではなく、このようにどの道にもすぐれていらっしゃったらしいことは、(今はむろんのこと)昔にもないことである/欲精于一事尚属难事,况似此行行皆精乎?今且不说,古却无之。
▲さよ姫が、もろこし舟をしたひつつ、ひれふりけんも、是には過ぎじとぞみえし。 『平家物語』
あの松浦佐用姫が夫が乗った唐船を慕って領巾を振ったという悲しみも、これに勝るまいと思われた/兹以为昔日松浦佐用姬别夫,慕唐船、挥披巾之悲亦不过如此尔。
:
平安时代之后,“けむ”因其发音,写成“けん”。原则上,“けむ(けん)”主要用于主语第三人称的场合,用于叙述自己并没有直接目击、(或体验)经历过的过去的事件。
“けむ”与“らむ”,“む”在推量用法上的区别:
“けむ”用于过去推量。“らむ”用于现在推量。“む”用于将来推量。
べし
:ク活用。
:活用词的终止形以及ラ变活用词的连体形。
词源:“べし”被认为是由“し”(的确、果然、诚然)的“う”脱落而致。最初是指从经验和道理等出发进行判断,并确信应有其事而进行推量。
:
推量:对某事具有确信的把握并进行推测。主要用于主语是第三人称的句子。相当于“(きっと)~だろう、~にちがいない(きっと)、~ようだ、~らしい”。
▲にゆべしをみしを、の心
『』
夫に隠れて不老不死の薬を飲み、とうとう月世界へ行ってしまった常娥はきっとそのことを悔やんでいることだろう/嫦娥应悔偷灵药,碧海青天夜夜心。
▲歌の道、また同じかるべし。 『新古今和歌集』
和歌の道も、また、同じであろう/盖和歌之道亦然。
▲人はかたち·ありさまの優れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。『徒然草』
(家柄についでは)人は容貌·容姿の優れているようなのが実にのぞましいことであろう/次于家世,人之所欲盖为倾城之貌、绝世之姿吧。
2意志、决定:表示自己的意愿和决定。用于第一人称。相当于“~う(よう)、~つもりだ、~しょう”。
▲会ず当に絶頂を凌いで、一たび衆山の小なるを覧るべし。
『望岳詩』
かならずやいつかこの泰山の絶頂をきわめて、眼下の群山を小なるものとして見渡してみたいものだ/会当凌绝顶,一览众山小
▲暫く月と影とを伴いて、行楽須らく春に及ぶべし 『月下独酌』
春のよき季節をのがさずに楽しみを尽くしておこう/暂伴月将影,行乐须及春。
▲毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。 『徒然草』
そのたびにただ矢が当たるか当たらないかを考えることなく、この一本の矢に決しようと思いなさい/每次勿虑其、中亦或不中,且思仅以此一箭而决之。
3当然、义务、必要。相当于“~はずだ、~べきだ、~なければならない”。
▲心の病は心の薬にて治すべし。 (俗諺)
心の病気はそれ自身の力で治すよりほかない/心病还须心药医
▲少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。 『偶成』
若い時代にうつろいやすく、学問というものはなかなか成就しない、少しの時間も無駄にしてはならない/少年易老学难成,一寸光阴不可轻
▲時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず。 『雑詩』
よい時を得たら逃すことなく精一杯楽しむべきだ。年月はどんどん流れていって人を待ってはくれないのだから/及时当勉励,岁月不待人。
合适(适当)、劝诱、命令:
表示对对方确实有好处。表示“适当,适合”时用于第二人称。相当于“~(する)がよい、~すればよい、~せよ”
▲人に勝らん事を思はば、ただ学問してその智を人に勝らんと思ふべし。 『徒然草』
人に勝とうという事を思うならば、ただ学問をして、その学問上の智において人に勝とうと思うがよい/若欲胜过于人,当以做学问,以其智胜之,作此想法为宜。
▲討手をつかはし、頼朝が首をはねて、わが墓の前に懸くべし。
『平家物語』
討手をつかわし、頼朝の首をはねて、わしの墓の前にかけなさい/遣杀手前去取赖朝之首级,置于吾之墓前。
▲草と為らば、当に蘭とるべし、木と為らば、当に松と作るべし 『李白「于五松山贈南陵常賛府」詩』
草となるなら蘭がよい。木となるならば松がよい/为草当做兰,为木当作松。
可能:常伴有否定表现。相当于“~できる”
▲彫るべからず。 『論語』
朽ちた木は彫刻することができない/朽木不可雕
▲他山の石以て玉をむべし 『詩経』
ほかの山から出る質のよくない石でも、自分の玉を磨くための砥石とすることができる/它山之石,可以攻玉。
▲天るべくして地量るべし、唯人心に防ぐべからざる有り。
『』
天体の動きや大地の変動は観測し予測することができるが、人の心の動きだけは予測し予防することができない/天可度地可量,唯有人心不可防。
“べし”和“む”的比较:
与“む”的意义相比,“べし”表现得更强烈。“べし”其意义除可分为以上几种外,还具有“预定、确信、预期”等其他含义。到底归为哪一类比较好,应可以根据前后文来确定其含义。
“べし”的音变
连用形:べく→べう べかり→べみ
连体形:べき→べい べかる→べかん、べか
未然形:べく→べけ
“つべし”と“ぬべし”
经常见到 “~つべし、~ぬべし”等表现,此时“つ、ぬ”并不表示“完了”,而表示“加强语气”。此时的“べし”的含义为推量。
▲の多しといへども、みなしつべし。 『徒然草·九』
人の心を汚すさまざまの欲望が多いといっても、みな嫌い離してしまうことができる/污人心之种种欲望多则多矣,然皆可厌而弃离之。
▲潮が満ちぬ。風も吹きぬべし。 『土佐日記』
潮が満ちた。風も吹きそうだ(吹くだろう)/ 潮涨矣,风起乎。
まし
:特殊型
:活用词的未然形。
:
反事实假想:假设与现实状态相反的情形。通常以“ましかば……まし”、“ませば……まし”、“せば……まし”、“未然形+ば……まし”的形式出现。相当于“~もし(も)そしたら(ば)、~であろうに”。
▲ 思ひつつればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 『古今集』
(あの人のことを)思い続けて寝るので、あの人が(夢に)見えたのだろうか。もし夢だとわかっていたら、目をさまさなかっただろうに/
▲世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。
『伊勢物語』
この世の中にもしも全く 桜がなかったとしたら、春を愛する人の心はのんびりとしたものであろうに/倘世上无樱之此类花物,爱春人之心亦不会为花落所悲戚而怡然自得,然……
『伊勢物語』
▲のの降り置ける雪にまがひせばたれか分きてらまし 『古今和歌集』
梅の花の匂いが、そこに積もっている雪の匂いと紛れるようだったら、誰が花と雪とを区別して、これを手折ることができようか/梅色白如雪,雪下暗香凝。谁人细细嚼,方为手上枝。
对不可能实现的事情寄予希望。伴有不满,后悔的语气。相当于“~たら(ば)よかったのに”。
▲あなうらやましの事や。我にこそ聞かせ給はましか。『宇津保物語』
ああ、羨ましい事だなあ。私こそ聞かせていただければ、よかったのに/呀,令人羡慕的事呀。若只为余一人所知就好了。
▲見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむぞ咲かまし
『古今和歌集』
眺める人もない山里に咲く桜よ、ほかの桜が散ってしまった後に咲けばよいのに/灿烂山中樱漫漫,寂寞芬芳无人赏。若把娇颜待别枝,无花方觉此花好。
▲花のごと世の常ならば過ぐしてし昔はまたもかへりきなまし
『古今和歌集』
花が毎年咲くように、人の世が常住不変のものならば、すでに過ぎ去ってしまった楽しかった私の過去だって、もう一度ぐらい帰ってきてくれればいいのに/花开年年在,亘常颜不改。人世若如花,愿往昔再来。
踌躇犹豫、迟疑的意志,希望。常伴有“なに”“や”等疑问词。相当于“~たらまかろう、~(よ)うかしら”。
▲これになにを書かまし。 『枕草子』
これに何を書こうかしら/拿此欲书何?
▲しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうは、せぬはよきなり。 『徒然草』
しようかしら、しないでおこうかしらと迷うようなことは、大体はしない方がよいのである/为之还是不为,大凡诸如此类令人心生困惑之事,大多还是不为之乃为上策。
▲法師にやなりなまし、死にやしなまし。 『宇津保物語』
法師になってしまおうかしら、死んでしまおうかしら/出家为僧乎?亦或死去(弃生离世)乎?
推量:表示一般性的推测。用于主语为第三人称的场合。相当于“~う、~だろう、~であろう”
▲うららかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞こえなまし。
『徒然草』
はっきりとよくわかるように言い聞かせてやったならば、きっと穏やかに聞こえるだろう/若清晰易明地说与其听,其必可静闻汝言。
▲行き暮れて木の下かげや宿とせば花やこよひのあるじならまし。『平家物語』
行くうちに日が暮れて木の下かげを床として宿るとしたら、花が今夜の宿の主人というわけであろう/于行进间,日色渐暮,假以树阴为床而宿,则今夜宿主为花矣。
▲もし海辺にて詠まましかば、「波立ちへていれずもあらなむ」とも詠みてましや。 『土佐日記』
もし海辺で(業平があの歌を)詠んだとしたら、「波が立ってじゃまをして(月を海に)入れないでほしいものだ。」とも詠んだであろうに/若(业平)在海边作歌,亦会吟道:“波起一屏障,不愿月入海。”的吧。
1未然形的“ませ”用于上代,后多以“ませば……まし”的形式用于奈良时代,且只在和歌里出现。
▲わが背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし 『万葉集』
もしもあなたと二人で見るとしたら、どんなにかこの降る雪がうれしいことであろうに(事実はそうでなく残念です)/瑞雪降纷纷,睹物更思人。若与君同赏,美景乐熏熏。
2“まし”的未然形和已然形均为“ましか”,但“ましかば”伴有“ば”的时候是未然形,前面伴有“こそ”的是已然形。“ましかば……まし”在平安时代开始使用,因“まし”其本身具有假定的含义,所以有人把这里的“ましか”视为已然形。
▲鏡に色·形あらましかば、うつらざらまし。 『徒然草』
もしも鏡に色や形があったとしたならば、(物の影は何も)うつらないであろう/倘铜镜有色有形,则(物之反影)皆不可见。
表示假想时“まし”和“む”的比较
“まし”是以现实中存在的事件为前提,来假想如果现实不是那样的话会怎样。“む”则没有设定象“まし”那样的前提。
意义上“べし”和“まし”的区别
“べし”是对于某事件实现的可能性进行推量。而“まし”则是对不可能实现的事实进行假想。
めり
:ラ变型
:活用词的终止形;形容词、形容动词,ラ变的连体形
:
推量:基于视觉,推测眼前的事实。相当于“~ようにみえる、~の様子だ”
▲を見て曰く、「うるはしき皮なめり。」 『竹取物語』
皮衣を見て言うことには、「りっぱな皮であるように見える」/见此火鼠皮说道:“此乃上等皮也”。
▲花びらのはしに、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。『枕草子』
なるほど花びらの端に面白い色つやが、あるかないかについているようだ/果然在花尖处,若有若无地闪耀着有趣的光泽。
▲「なお、この宮の人にはさべきなめり。」といふ。『枕草子』
「やはり、(清少納言)はこの宮の女房としては適当(な人)
であるようです。」という/女
官们说道:“到底还是(清少纳
清少納言 言)适合担当此宫女官。”
委婉地断定:不是很清楚的断定,语气较为缓和。相当于“~のようだ、~かと思われる”。
▲「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、…
『徒然草』
しみじみとした情趣はなんといっても秋が一番だと誰も口をそろえていうようであるが/人皆谓:“若论物哀之情趣,当以秋为最”,然……
▲まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。
『枕草子』
ほんとうに才があるというのは、男でも女でも、めったにないことらしい/真正有才的,无论男女都是极少的。
▲いでや、この世にうまれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。『徒然草』
いやどうも、この世に生まれてきては、ああもありたい、こうもありたいと思うことは実は多いようである/呜呼哉,人之生于世间,其所欲实为多矣。
词源:据说是由見+あり、或見え+あり变化而来。めり是在平安时期迅速发展起来的助动词,经常在平安文学作品中出现。
2“めり”的连用形的用例不多,偶尔与助动词“つ”“き”连用。
▲ものをのみおぼすめりしかど、 『蜻蛉日記』
もの思いばかりなされているようであったが/似乎一直若有所思,…
▲人げなき恥をかくしつつまじらひたまふめりつるを。『源氏物語』
人並みにも扱われないといった恥を忍び忍び、宮仕えの生活を続けていらっしゃるようだったのですが/似乎在宫中一直忍人之所不能忍的耻辱而生活着。
3“めり”接在ラ变活用词后时,前面的词有时会有以下的音变。如:
あるめり→あんめり、あめり
悪しかるめり→悪しかんめり、悪しかめり
静かなるめり→静かなんめり、静かなめり
4“めり”表推量等,通常为相当确信的句子,疑问表现句极少。这点与“らしい”相似。
らし
:无变化。
:活用词的终止形、ラ变的连体形。
:
1推定:基于确切的根据进行推量。相当于“~にちがいない、~らしい、~多分…だろう”
▲深山にはあられ降るらし外山なるまさきのかづら色づきにけり
『古今和歌集』
奥山にはが降っているに違いない、里に近い山にあるまさきのかずらがもうすっかり紅葉したからなあ/近山冬青丛,早已披红衣。心思深山里,正值下霰时。
▲古へは散るをや人の惜しみけむ、花こそ今は昔恋ふらし。
『拾遺集』
昔は花の散るのを人が惜しんだ事であったろう、今は花は、亡くなった人を恋し、思っているに違いない/昔日人怜花飘零,而今人逝花犹存。花开花谢无人叹,花定思人恋旧时。
▲の月の上より漕ぐ船のにさはるは桂なるらし。 『土佐日記』
水底に映る月の上を漕ぐ船の棹にさわるのは、月に生えている桂であるらしい/将摇船之橹置于水中月之倒影之上,其状似长于月中月桂树一般。
“らし”的连体形、已然形仅与系助词(ぞ、こそ)相呼应使用。奈良时代有“らしき”连体形出现,只在上代和近世,并仅与“こそ”相呼应使用,用例较少。中古时期“らし”已无变化形式。
▲古へも にあれこそ も妻を争ふらしき 『万葉集』
昔もそのようであったからこそ、この世の人も配偶者を争うにちがいない/(古闻山求爱),今有人争妻。只因先例在,后必相予夺。
“らし”因其意义的性质,不能跟假定条件同时使用,也不用疑问词结句。
“らし”前接在ラ变活用词时,有“あるらし”“けるらし”等形式,也有“あらし”“けらし”的形态出现。
▲春が過ぎて夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ天の香具山
『百人一首』
春が過ぎ夏が来たらしい。白い夏衣を干すという天の香具山には/春去夏又至,天之香具山。夏衣片片白,于山待其干。
“らし”、“らむ”和“めり”
三者均表示对现在发生的事实进行推断,但稍有区别。
らし:以眼前的事实为根据进行推量。
らむ:对眼前看不见的事物进行主观的推量。
めり:委婉地推测和判断眼前客观的事实,避免使用断定的表现。
“らし”和 “らむ”
“らむ”大多伴有表示疑问的词,而“らし”则几乎不带有疑问词。在中古后期才出现了“らし”伴有疑问词的句子。
“べし”和“らし”:
两者均为基于根据进行某种确实性的推量。但“べし”主要是对还没有实现的事实进行推测,“らし”是对现在(已成为现实)的事实进行推测。
判断助动词 なり、たり
:形容动词型。
:体言・活用词的连体形、部分助词。
:断定:表示肯定的判断。相当于“~だ、~である”。
▲そもそも、歌のさま、六つなり。 『古今和歌集』
さて、歌の表現は形式には六種類あります。
▲子安貝をふと握り持たれば嬉しくおぼゆるなり。 『竹取物語』
子安貝をふっと握り持っているので、うれしく思われるのです。
▲古のことをも、歌の心をも知れる人、わづかに一人二人なりき。
『古今和歌集』
昔の和歌の盛況をも歌の本質をも心得ている人はわずか一人二人でありました。
▲世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。 『古今和歌集』
この世に暮らしている人々は、仕事がたくさんであるので、その心に思うことを見たこと聞いたことに託して言い表したものが歌であります。
判断助动词 たり
:形容动词型。
:体言。
:断定:表示肯定的判断。相当于“~だ、~である”。
▲父、父たらずといふとも、子は以つて子たらずはあるべからず。
『平家物語』
父が父らしい父でないといっても、子は子でなくては(子としての道を尽くさなくては)いけない/虽父不像父,然子要像子。
▲かくのごとくの主は、将軍たるべし。『平家物語』
このような(りっぱな態度の)主は、将軍であるべきである/持如此之态度者定为将军。
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练习
指出以下句子中划线部分推量助动词的活用形,以及其含义。
かばかりあせはてむとは、おぼしてむや。 『徒然草』
我こそえめ、などいふものども有りて、…… 『徒然草』
さるべきありとも、法師は人にうとくてありなん。 『徒然草』
勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。 『徒然草』
その儀ならば、われこそ、いかなる罪科にも行なはれむずれ。 『保元物語』
さりとも少将は、情ふかき人なれば、よき様に申す事もあらんずらんと、… 『平家物語』
いばかり心の中涼しかりけむ。 『徒然草』
たばかられぬとや思ひけん、やがて続いてうち入れたり。 『平家物語』
中納言の言ひけむ、配所の月罪なくて見むこと、さもおぼえぬべし。 『徒然草』
10風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ。 『伊勢物語』
11などて乗りそひて行かざりつらむ。 『源氏物語』
12君故郷より来る、応に故郷の事を知るべし。 『雑詩』
13風波頓にやむべくもあらず。 『土佐日記』
14ただ、御心だに頼み奉りぬべくば、いかに嬉しきあらむ。 『落窪物語』
15羽なければ、空をも飛ぶべからず。 『方丈記』
16重盛かうて候へば、御命にもかはり奉るべし。 『平家物語』
17あわれ、わが道ならましかば、かくよそにみ侍らじものを、といひ。
『徒然草』
18その聞きつらむ所にて、ふとこそ読まましか。 『枕草子』
19局の簾うちかつぎなどし結ぶめりき。 『枕草子』
20降る雪はかつぞ消ぬらし あしひきの山のたぎつ瀬音まさるなり 『古今集』
解答
、推量、よう/推量、であろう 、意志、たい 、終止形、適当、勧誘、がよい 、意志、う 、已然形、意志、よう 、終止形、推量、だろう 、終止形、推量、だろう 、終止形、原因の推量、たのであろう 、終止形、伝聞、たとかいう 10、終止形、現在事実推量、ているだろう 11、終止形、現在原因推量、のだろう 12、終止形、推量、だろう 13、連用形、推量、そうだ 14、未然形、可能、できる 15、未然形、可能、できる 16、終止形、意志、よ 17、未然形、仮想、であったら 18、已然形、推量、よかったろうに 19、連用形、推量、ようだ 20、終止形、推定、らしい